住職のひとり言

住職のひとり言は、日々感じたことを書かせて頂いています。
生きる力、苦しみを乗り越える力を身に付け、自分も人もいろんな思いをして生きている事に気付き、思いやりやいたわりの心をもって仲良く幸せに人生を過ごして頂きたく書いています。少しでも皆様の生きる力になれば幸いです。

祖聖大寺住職 加藤丈尚 合掌

住職のひとり言

2015年

20年H27.1.17
私達が、生きてゆく上で突如とした事態が起こる事がある。20年前の阪神淡路大震災がそうである。6400人もの尊い命が犠牲になった事は残念で悲しい事である。
災害を通じて人の心の中が分かる事もあると私は感じた。日頃は、他人の事には全く無関心な人が、災害を通じてお互いの絆を理解し、人としてのあり方を発揮して心が外に向けられてゆく事などがそうである。
私達は、一人では生きられない事。常に誰かに頼り、迷惑をかけ、助けられて生きていると思う。だからお互い困った時は、寄り添い、励ましあって困難を乗り切る事こそ人の心に信頼を植えつけるのではないかと思う。
今の日本人が忘れてる心の温もりを震災が教えてくれてるようにも思える。ありがとうございます。
最後に犠牲になられた6400人のご冥福を心からお祈り申し上げます
合掌
星まつりH27.1.26
昨日、当山の星まつり(厄除け節分祭)が無事終わった。私は、例年曇りか雪がちらつく事が多いので、せめて曇りぐらいがいいと思っていた。ところが快晴で気温も15度くらいとネットで知ってたのでホッとした。又、参詣者も多く、例年参加しない人も参拝していてうれしく思った。
いつもの事ながら前準備が色々とあり、中でも本堂内の場所の設定、片付け、テント張り、焚きあげ場の設定、供物、接待の準備、申し込み札の確認、豆まきの用意、福笹の用意と日を追って忙しさが増し、毎晩寝るのが0時~1時というものであった。
中でもテントの設定も私の息子や娘婿が協力してくれた事や接待をしてくれる方々が力を貸してくれた事もあり大いに助かった。豆まきやくじ引きも当山の弟子やその信者さんと参拝者も協力してくれ大いに盛り上がった事で嬉しかった。
くじ引で久々参拝に来た方や接待に協力してくれた方に豪華な景品が当たり、喜んであった姿が、とても嬉しく感じ弘法大師が説かれるこの世の浄土でもあった。
このような参加者の嬉しい顔や雰囲気が準備の疲れを取ってくれたように感じた。来年も来て楽しい思いをして福の神と友達になって下さいとの思いであった。
天気にも恵まれ、多くの人に助けてもらい、嬉しい思いをさせて頂き、神仏やご先祖様、全ての事に有難うございました。
合掌
建国H27.2.11
今日は、建国記念日。2675年前の今日、神武天皇が即位されこの日本が誕生した日です。世界でもこんなに長く神代から続いた国はありません。この国に生を受けた事はありがたく素晴らしい事です。日本は、四季があり、食べ物もおいしく、人間が大らかで働き者が多いだから経済大国になり、私達は何とか不自由なく生活が出来てる。その事が当たり前と思ってる人が多い(私もその中の1人)
日々を何とか暮らしてゆける事や自分の身体が健康である事等考えるとく何と素晴らしい事だろうか。そう考えると”有難うございます”と手を合わせずにはいられない。
”この有難うございます”は子供も使う言葉だが、この意味を心から噛みしめ使う事が大切。この言葉は、教えるのではなく後世に伝えてゆくものと私は思う。今日は、この言葉の意味を考え、これから私達は使命を行動する事だと思った。
合掌
誕生日H27.4.8
今日は、お釈迦様の誕生日で多くのお寺で花まつりが行われた。お釈迦様は生まれた時、天地を射して”天上天下唯我独尊”と叫ばれたとの事。この世で自分だけが貴いと思われる方もおられるようだが、そうではない。自分自身も尊いが同じく他人も尊いという事である。
人としてこの世に生まれてくる事はそうたやすいものではない。多くの命の中からたった一つの命としてこの世に生を受けるのである。だからどれ程過酷な過程を経て私達は、この世に誕生したかを思うと将来の生き方が変わってくる感じがする。このような事から私達は、命の優等生でもある。だから、自分に自信と誇りを持って生きてゆく価値がある。明日そして未来へと夢と希望を捨てる事なく進んで行こうと思った。
合掌
1200年H27.4.27
今月22日~24日まで高野山真言宗の寺院の団体(740人)で高野山へ参拝してきた。今年は、弘法大師様が高野山を開かれて1200年にあたる。当山からも私を含め6人で参加した。
この1200年という歳月を想像しても気の遠くなる思いを感じ、弘法大師の思いの深さをしっかり感じた。同行してたある女性が”高野山に初めて来ました何か上手く言えませんが空気が下とは違いますね何か全身が締め付けられるような気がします”と言って感激してたようだった。
私は、彼女の言葉を聞き、まだ若かった修行時代を思いだした。彼女の言う意味を私は理解してるつもりだ。何故なら修行時代に何度もその思いをしたからまさに高野山は、弘法大師が今もおられ、神仏のおられる世界まさにマンダラ浄土でもある証拠でその接点でもある。
真言密教は感性が大切であり、そこから神仏の存在を体験できる宗教である。この事を多くの人に体験して頂き、この世が極楽である事に私達が気付き、いい人生を送る事が弘法大師の誓願である。
合掌
時H27.6.10
昔から”時は金なり”と諺がある。もう6月今年も半分に差しかかろうとしている。
何かに追われていると時間がすぐ経ってしまう。時間は、温情なく過酷でもある。
仏教で”刹那”(せつな)を説き、今とか一瞬との意。この瞬間は二度と帰らないとの言葉をよく耳にする。それくらい私達の生活に密着してる時間とは厳しいものかと感じる。だからこそ心を入れて真剣に物事にあたらなければならないとも思う。
”時は金なり”とはよく言ったものであると思う。人生は、真剣勝負と言われるのもこの事からと思い、改めて精進と大切さを感じるこの頃である。
合掌
H27.7.28慈悲の眼差し
最近、当山の五剣の滝で土用の滝行をさせて頂いてる。滝場の不動明王の顔は、恐くて厳しい表情が当たり前と思いお滝を頂いてる。滝から出る時、ふと不動明王の顔を見るといつものような表情とば少し違ってた。
それは、眼球が少し柔らかく、表情も少し柔らかく、優しく感じた。不動明王の心は、観音菩薩と同じ慈悲心であると私は感じた。
不動明王のそのような表情から行者は何をどう考え、思い、感じて行動してゆくのかとの問いかけとも私は受け取った。人の生き方、導き方にも繋がるようである。
合掌
一度H27.8.17
昨日16日は、一年に一度だけ地獄の釜の蓋が開く日と言われている。多くの亡者に供物を供え、経文を読誦し、天界へ送り届ける日でもある。
これらの供養をする事は、された御霊も喜び、した方も徳を積む事にもなり、互いがプラスになるのである。この事は、相互礼拝相互供養にもつながり、仏教の教えにもつならると私は思う。誠に素晴らしい事で弘法大師の説かれるこの世が、極楽浄土となる事にもなる。
当山は、昨日は盆の期間に信者様から依頼された供養の総まとめとして恒例の”せがき供養”を行った。依頼された供養の塔婆を滝場で清め、仏火で供養を行い曼陀羅浄土へ送り届けた。
火はマイナスを焼き払いプラスに変える働きがある。ご先祖様の戒名、水子の名を書いた塔婆を火で供養する事は大変、意義のある事で先祖の積んだ悪業をも焼き尽くしてくれ、曼陀羅浄土へ送り届けるのである。そのせいか参加者の表情が清々しく感じられてならなかった。やはり、お盆に供養をする事はそれなりの功徳があると確信を持てるようになった。供養はとにかく生きてる限り、しっかりやって頂きたいと思う。
合掌

2014年

絆H26.3.11
東日本大震災から3年目を迎えた。あの時の映像わ思い出すとまさにこの世の地獄である。悲しくもあり、恐ろしくもあり、悔しくもあり色んな思いがこみ上げてくる。
被災者の方々の中にも色んな思いを抱き、一生懸命に生きてある多くの方々もおられ、不自由なく生きてる自分が大変、申し訳なく恥ずかしい思いである。中でもいつか故郷の復興に努める志を胸に建設業を目指してる若者や医師や世の他の職業の方々の話を聞くとこちらも元気をもらう。
被災者の方が互いに手を取り合って東北の復興に力を注いである姿に人の血の温もりを感じ、日本人が本来持ってる優しさ、大らかさ、忍耐強さも感じ、安心感をも感じる。
その人の繋がり絆が今の日本人が忘れてるように思えてならない。その絆の輪が広がり被災地が少しでも復興され被災者に笑顔が広がるのを願う私です。最後に震災の犠牲になられた方々のご冥福と一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。
合掌
37年H26.4.2
37年前の今日私は、高野山の寺に修行に入った。慣れない事ばかりで右往左往してた事を思い出す。ついこの間と思ってた事がいつの間にか遠くになってしまった。
年月の経つ速さをひしひしと肌で感じるこの頃で自分はこの道に入って何をしてきたのか。これからどう歩んでゆくのかなど色々考える事が多くまさに岐路に立たされてるのである。
もう一度自分自身を見つめなおし新たな仕切り直しの時期でもあると感じるこの頃でまさに”諸行無常”である。
色々と問題があっても五体が健全である事、今日も朝起きれた事、食べさせて頂いてる事等に”ありがとうございます”と手を合わせ日々を精進させて頂いてます。37年間の成果を出し自分の味を出してゆくようにしたく思います。
合掌
布袋さんH26.4.15
七福神の中の一つに布袋さんがおられ、容貌は腹が出て笑顔で大きな袋を枕にして休んであります。中国の坊さんでもあるそうです。
私達の人生は、苦しみや悩み、悲しみといったマイナス的な事が多く、現代はそれらのストレスで多くの人が心を痛め、中には自殺する人も多くいます。
布袋さんがかついでる白い大きな袋は、私達人間社会の様々なストレスをかき集めたものと私は思います。苦しみ悩みから逃げずそれを受け止め反対にプラスに転嫁させ、高笑いをして人生を楽しんでるように感じます。たった一度の人生、暗くうっとおしい顔してもヘラヘラ笑って送るのとどちらが良いでしょうか。私は、最近布袋さんからこのような事を感じました。お互い楽しい人生にしたいですね。
合掌
広島H26.8.6
69年前の今日、広島に原爆が投下され多くの罪の無い人々が犠牲になられた。その犠牲者の御霊に唯、合掌するのみです。
原爆を投下を命じられ投下したアメリカ人もその被害を受けた多くの日本人(広島、長崎)も心に深い傷を背負い今も生きている事を思うと痛恨の思いである。なぜ、人は戦争をするのか。いつも考えさせられるのである。余り政治ごとに介入するのは嫌いな私である。
7月1日に国会で集団的自衛権の行使が決定された事に多くの国民が不快感を表わしている。私もその一人である。戦争をして設ける人いわゆる死の商人がいるので悲劇が繰り返されて戦争が当たり前とされる事に腹立たしくなってくる。
折角多くのご先祖の推薦を受け人としてこの世に生を受け、それぞれが使命を与えられているのにそれをも分からぬままに戦争に加担する事を行う事をもう一度、考えて戦争を回避するように努める事が広島や長崎で原爆の被害に遭われた方々に私達がしてあげれる事になると思う。早くこの世から戦争が無くなって欲しいと今日も願う私です。
合掌
ありがとうH26.11.26
私達が、生活してゆく上で必ず使う言葉に”ありがとうございます”がある。心をこめてその言葉を使っているのかと最近、自分に問いかける事が多くなった。
一日の生活を振り返ると私達は、多くの物や人を犠牲にして生活してると思う。だから、”ありがとうございます”の裏には、”勿体のうございます”の言葉があると思う。
朝、目覚めてから夜寝るまで私達は、常に”ありがとうございます”の生活と思う。心をこめてどこまでその言葉が言っているのかが私にとっての課題でもある。
私ごときの為にいつも色んな物を提供していただき”勿体のうございます”との思いを高めながら今日も滝行、護摩とお勤めの日が始まる
合掌

2013年

日付
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2012年

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2011年

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2010年

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2009年

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